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2015年10月27日

阿武隈の命日だった

ピクシブでフォローの方の投稿見て、思い出すw
阿武隈本作っておいて、この状態ですから酷いもんですw
この方舞鶴の砲雷撃戦よ~いで、同じ阿武隈サークルだった方w

1944.10.26
阿武隈 スリガオ海峡海戦で戦没
乗員は潮に救助されました。
ほのぼのした中に切ない絵です
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=53224718

そこでふとコメントで
突撃工兵2015年10月27日 00:15
阿武隈の乗員がマ海防に編入されて無い事を祈るばかりだ。

と書いちゃった・・・ら気になって調べてみたら

潮は沈没した阿武隈の乗員をマニラに届けているんだね・・おっと
青葉の離脱の時もわかるように一部の士官は内地に返したが
大半の乗組員は、武器もないままマニラ海軍防衛隊・・

当時沈没艦の乗組員にマニラの第31根拠地隊を基幹に26000人を擁してたマニラ海軍防衛隊
熊野や那智の乗組員も悲惨な事になっているからなあ

阿武隈の乗員のその後で検索してたら
戦艦「大和」副砲長・清水芳人少佐(写真追加・一部訂正)
http://ameblo.jp/zero21nk/entry-11230363315.html
この人阿武隈の生き残りで
写真に木村提督と一緒の写真もある。

しかし、阿武隈にとって、無線通信設備が破損したせいで
木村提督が旗艦を移乗して離れた途端に、
この悲劇、多分木村提督は阿武隈の幸運の女神だったんだろうな。

その後移乗した霞が第1水雷戦隊と第2水雷戦隊も統合して
比島の激戦の地で生き残るのは不思議な縁の気がする。





Posted by 突撃工兵  at 01:08 │Comments(0)

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